●2011年12月18日(日)
上代裂と名物裂 それに有職裂 日本には古くから伝わる美しい裂(きれ)があります。大きく分けると上代裂と名物裂があって、上代裂は法隆寺裂、正倉院裂などに代表されて、名物裂はほぼ鎌倉時代から室町時代にかけて日本に渡来した染織品の中で、珍重された裂です あと一つ有職裂というものがあって、これは主に平安時代に完成された文様で、上代裂の影響を受けながらも、日本的に完成されたデザインです。主に天皇、皇族、公家などの調度品・装束に使われました。 なか志まやでは、有職織物の第一人者時・喜多川俵二さんの帯を時々扱いますが、僕がコーデイィネイトするには、この帯は、随分と穏やかで上品な雰囲気を醸し出す帯なので、そんなには取り扱いがないのですね。(弊店もなか志まやなりの上品さを目指してはいるのですが。。。) 上代裂は、法隆寺と東大寺の正倉院の、二つの寺に残った裂のことをさしています。法隆寺裂が1万点、正倉院裂が20万点だそうです。時代的には両者の差は120年ほどあります。この中には経錦を初め、綴織、綾、紗、羅、しじら、薄絹、麻布などが既に完成された織物としてありました。 中でも羅織は軽くて、透ける優雅さからとても重要視されていて、現代でいう夏の織物という捉え方ではないようです。北村武資さんが、羅織りで人間国宝にしてされてまして、この方の経錦(たてにしき)は、今の礼装には欠かせない程の人気がありますね。 名物裂は鎌倉から室町時代にかけて日本に渡来した染織品のなかで、特にすぐれて珍重されたものをいい、特に茶人の間で愛用された裂です。この当時の茶人といえば、やはり利休や秀吉という武将などの思惑が濃く影響していました。ある意味、権力と趣味によって集められたものですね。 なか志まやでもよく扱う帯のデザインに『二重蔓牡丹』や『菊いちご紋』がありますが、代表的な名物裂です。 今回の新作展でも、勝山健史さんの塩蔵繭名古屋帯がモール糸で二重蔓牡丹を、洛風林の紬地の名古屋帯など、必ず何かしら取り扱いをしています。 上代と名物裂には、有職裂にはあまり感じられない、大陸的な匂いがあります。日本に渡りここでさらに洗練されたものが多いでしょうが、なか志まや的には上代と名物裂を好んで扱います。有職裂のようなたおやかさよりも、少しよい意味で乱暴でもあり、コケティッシュでもあり、適度な軽さが、なか志まやが好む着物と引き立て合うように感じるからです。こうした裂の多くは主に明治時代以降、龍村平蔵氏(龍村美術織物)と川島甚兵衛氏(川島織物)によって研究、復元され、それを引き継いできたのが今の西陣の織物メーカーです。 そして、今でもなお研究は続けられ、いつでも参考にして写されていくのが上代裂と名物裂なのです。 今日、洛風林から届いた斑鳩文間道のなんと、アバウトな文様なくせに味わいのあることか。画像は白洲正子が洛風林にオーダーしたという太子間道の帯(復刻版)を、仁平幸春作・全面ロウムラの着物(栃尾真綿と座繰糸で紋織りした生地使用に茜の草木染と白ロウによるロウムラ)を取り合わせたものです。
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