●2005年12月13日(火)
ああ〜っ 久々にギックリ腰をやりました。 この画像は、その前日、AXISでの展示会の設営が終了してホッとしているところです。その翌日、きわめて情けない状況でやってしまいました。 本来なら、この会期中は、中島が常駐するということだったんですが、初日の朝、会場に向かう車で悲劇は起き、なんとか辿りついた会場でも息絶え絶え状態。 芝崎さんを置き去りにしております。 幸いマニグリエ真矢さんはじめ、スタッフの方々に京都展同様、ご迷惑をおかけすることとなっております。誠に申訳ありません。 この展示会では、デジタルプリントが、いかに呉服という世界に近づいて行ったか 分かって頂けるかもしれませんw 正面、入って右に展示してあるテキスタイルの染めと極めて初期の小紋染め、そして、馬の羽裏。 そして、京都展で発表した長襦袢、羽裏。 比較していただけると、その技術の進歩といいますか、芝崎るみの熱心な取り組みの姿勢、その歴史を感じて頂けると思います。 はじめは、三輪車にのっているような、、、今は飛行機に乗って自由に空を飛ぶ感じ!と彼女は表現しています。 デジタルプリントによるファブリック、ファッションなどの製品は、早くから世に出ています。極めて幼稚なデザインでも、優れたデザインでも平面に染めてしまえば、 あとはどこでカットしようがおかまいなく製品になっていくものたち。 着物で言えば、送り柄、小紋にあたるのでしょうが、それでも着物という衣裳は どこかで、デジタルであることを拒み続けているように感じました。 そんなに、簡単に染まるもんじゃないよ。。。。。そんなんじゃ、着物とは呼べないよ。。。。と言われているようでした。 もしかしたら、正統派の呉服業から入った中島の個人的な感覚だったかもしれません。着物の染めには、機械には表現出来ない立体感というか、ふくらみというか、しいて言えば温かさみたいなものを感じます。はっきりしない曖昧さといってもいいと思います。それが着物という衣裳には合ってる。 染めにしても織りにしても、どこか曖昧さがあるところが、着装したときに心地さをもたらしてくれるのだと思います。 デジタルがそこまで追いついたのか! 結論は、まだ僕にはよく分からないんです。ただ、浴衣や羽裏、襦袢を作ってみて、 今までの着物の染めの技術では、表現出来ない新しい曖昧さ、デジタル的な曖昧さみたいなものが表現出来てるんじゃないか、、、て感じてます。 それは、もちろんデザインをやられた岡 達也氏、ゴトウヒロシ氏、そしてデザインと制作のオペレイトもする芝崎るみさんの力量だとおもいます。 この技術では、振袖まで制作が可能です。 現に今、ゴトウヒロシ氏の振袖を制作中です。しかし、どこかのページで、デジタルの技術を使い、着物の表生地を制作することには、あまり積極的ではないと、僕は言ってますが たぶん今でもそうなのかもしれません。でも、、、 絵羽の長襦袢が出来上がったときの感動は、物凄いものでした。 今回は、桜の襦袢が出来上がりで展示してあります。 木枠で展示してある、額裏も仕立て上げられて初めて、その良さが発揮できました。(袖などの部分など大半は隠れてしまうのですが) デジタルの浴衣を発表したあと、仲間内で話していて、次にやるのは 『羽裏と長襦袢』と瞬時におもいました。事実、『呉服なか志まや 西へ』で 発表する機会を得ました。そして、このAXIS。 でも、振袖が、間に合わなかった! なぜ、、、、、芝崎さんにはなにも問題はなかった。 ゴトウさんのデザインが遅かったといえば確かにそうですが、あの段階のデザインで 振袖にまとめあげる事は出来たはず。(現にいままでそうやって、作品つくってきたのでw) なぜ、、、すべては僕の迷いのせいだと思う。 何を迷ってたのか、、、、それは、いままで長々と書いて来たことすべて、 呉服の世界でどこまでデジタルがいかされるのか、、、、 何故、デジタルで表現するのか、、、、 先日、京友禅の大先生方が、あるプロジェクトで芝崎るみのデザインの振袖を制作、その発表会を見てきました。 芝崎さん曰く、『プリンターよりも凄い人間プリンターがいる、その人間の技術力は凄い!』と。 つまり、忠実に彼女のデザインを再現しているのです。 その技術力。。。。様々な技巧を施し、模索しながら染められた振袖はとても味のあるものでした。極めて手の仕事を感じる仕事です。 (デザイン画を正確に再現しながら) 着物は、極めて人間臭い衣裳です。 織り手も描き手も、着手も、日々の感情、そしてはたまた天候に左右され、翻弄され それでもその時を表現しています。いい事も、悪い事も全てが織り込まれ、描かれて その着姿に現れています。 立体裁断を基本とする洋服は、着手の感情に左右されず、いつも同じラインを作ります。着物はそうはいかない! すべて、そのときの感情を表現してしまいます。 一度として同じ着装はありません。。。。。。。。 話しがそれましたが、デジタルが均一の表現を出来る技術なら、それが、着物の世界で如何に生かされるか、真剣に考えないといけないと思います。 コスト、時間を恐ろしい程、軽減していくことは、ある意味これからの時代のニーズに合っているだろうし、コストも時間もかかるけど染め上がるものの良さを、これからも残していく必要があります。 もともと極小さなパイの中で、商売をしてきたので、僕が関わってる品物の数なんて、呉服業界にはなんの影響ももたらすものではないと思うけど、もっと大きなお金と人を使い、その時の流行なのか、わからないうちに着物作りをする連中も必ずでてくるだろうし、、、、 『呉服なか志まや』というプロジェクトは、決して、マスプロダクトを向いた商品ではないよ、そういう志向のもの創りをしてるんじゃないと、僕が言ってしまうと もしかしたら、僕はこのプロジェクトには向いてないのかもしれません。 何千枚も売れるTシャツのように、着物や浴衣の企画を考える事も可能だろうし、 それはデジタルが向いていると思う。でもどこかで、それを拒んでいる自分がいます。低コストでどこにもないオリジナルを作れる可能性がある技術を、いつまでも たかが、2〜3枚の着物を作る為に使い、それ以上を積極的に望まない、僕は きっと、商売人としては失格であると思います。 宝の持ち腐れ、、、、爆 気まぐれで、自分がいいと思える事にしか情熱を見せず、儲けることに怠慢で(大爆)いる自分は、きっと、今の腰の状態のように、肝心(かんじん)要(かなめ)なところが、きっとがたがたに痛んでるんだろうな〜(wwwwwww)
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