TOP お知らせ 店主日記 よく遊べ 店舗のご案内 気っ風市 お問い合わせ

ある日のなか志まやの出来事、つれづれ

2009年11月の店主日記
[過去の店主日記一覧]
●2009年11月26日(木)

古い時代のものながら古びを感じさせない新鮮さ
新しいものでもずっとそこに佇んでいたかと思わせる存在感


和と洋、現代と古代というように対極の性質を備えるものを出合わせる

美しさの定義を、このように塚田さんは教えてくれます。

これは美術品を扱い、空間の設えを創る一つの極意だと教えてくれますが
着物と帯、そして帯締や帯留め、帯揚、髪飾り、根付けなどなど
装いの空間を創るときも、その極意は通じます。

古着はいっさい扱わないので、基本は今のものを取り合わせるのですが
帯の絵柄やその表現方法に関しては、古い時代にその題材を求め
新しく創られたものであるけれど、古格を感じさせる帯を
着物に合わせることが、一つの装いのおもしろさです。

画像は、最近出来た帯にアンティークの帯留めをのせています。
手短かにあるもので、やってみたのですが・・・

対極の性質を引き立て合う、おもしろさなどまったくなく
うまくいきません。

そんなに簡単なことではないのだと痛感します。

●2009年11月21日(土)

ふくれ織

二重経ての手織は、洛風林創業から手織だそうです。触り心地、締め心地の良さそうな柔らかな名古屋帯は、着付を始めた着手にとって大きな魅力となりました。そして、この大胆な柄が決めてです!正倉院宝物のルーツである西アジア、中央アジアの染織品をはじめとする美術、工芸品に題材を求めた意匠は、無地感覚の着物にとてもよく映えます。

『よく遊べ』のページで紹介した白州正子好みの白い帯も、これと同じ組織の手織となります。やわらかい糸と織りの風合いが、大胆な意匠をさらに魅力的にしています。京都から届いたばかりの帯ですが、さっそく結び手を得る事が出来ました。

●2009年11月16日(月)

境の無い調和の美


時代もジャンルも異なるものどうしが強く響き合う空間

境の無い調和の美を、日々新たに表現していきたい


銀座、ギャラリー無境の塚田晴可氏の著書『暮らしのなかに 新・古美術』の最後のページはこう綴られていました。

一衣舎さんの個展が、ギャラリー無境で、今年の10月に行われるということを知るまで、僕はまったく、ギャラリー無境のことも塚田さんのことも知りませんでした。
先月、一衣舎さんの個展を見る為に銀座のギャラリーに訪れて、初めて塚田さんにお会いしました。下のエレベーター入り口ドアの前で、お客様と話されてる男性を見つけた時、ああ!この人が塚田さんだな!て一目で感じたのが思い出されます。

ギャラリーの中で、木村先生から紹介され、名刺交換をさせて頂き、すると
『ああ〜君があのパリジェンヌ、マニグリエ真矢さんの着物を作ってる呉服屋さんなんだね!真矢さんの着物姿はいつも素敵で、僕はファンなんだよ。今度、君の店にも行ってみるね!』と・・・
僕は即座に・・・『とっ・・・とんでもない!』と返答してしまいました。そのあとは、『いい空間ですね〜』などおきまりのような会話しか出来なかったのですが

塚田さんをはじめて拝見した時、僕はこういう風貌というか、大人な男(自分も既に十分すぎる程大人なのですが・・・)になりたいな〜と感じたのでした。ちょうど10歳年上の塚田さんにお会いして、自分もこれから、このような感じをさせる男になるために10年を過ごしたいと。
塚田さんのこと、どういう経歴でどういう仕事をされ、ましてこの方の美意識がいったいどういうものなのか、全く知らなかったのですが、そんな印象を持ったまま、銀座をあとにしました。


先月30日に急逝されたことを、一衣舎さんのブログで読んで知り、言葉を失いました。
ほんの肩をすれ違わせたぐらいのご縁、、、しかし僕は、自分なりに何かを感じさせて頂きました。

境の無い調和の美を求める姿勢は、着物の世界にも、勿論あります。
著書には、丸ファクトリーの着物と帯が掲載されていました。
丸山さんは、塚田さんとご縁があったのですね。

自分が持つ、ものを見る目!は、どれ程のものでしょうか?
感じる力はどれ程のものでしょうか。
小手先のコーディネイト術とかではなく、もっと、ものの本質を見抜いて、きものという空間を創りあげるような、そういうなか志まやならではの、着物創りをしたい!

塚田さんにお会いして、漠然と感じた事は、こういう事なのでしょう。

『僕の処なんてとんでもない!』ではなく、ならば『これを見て頂きたい!』

そんな自分を、これから10年の間に創り上げたいです。
今日から見るものに、境い無く調和をみつけられる、もっともっとこれからも目を養って行きたいです。そういう情熱を絶やさずに生きて行きたいです。


塚田晴可さんのご冥福を、心からお祈りしております。


                    なか志まや 中島 寛治


●2009年11月11日(水)

誂えと着付と脱いだ後


下の日記で、画像にして反省することもあると書いたけれど、画像に撮っておいてよかったと思うこともある。ご夫婦の着物姿の画像で、なか志まやらしいお召で誂えて頂いたものだ。過去にもどこかでアップしたことがる。

斜め格子の紋お召に金属的感覚の袋帯!市松/縞の風通織りお召を着物と羽織で!

微妙なカップリングをさせた、誂え一式を創らせて頂きました。
この時も、勿論、両名の着付をさせて頂きましたが、自分的には満足しています。
一衣舎の先生からは、少しだけ裄が長いかなとご指摘を受けたのですが、これは好みとしてもいいかもしれませんし、今後、はじめて裄を決めて行く際には、いろいろ教えて頂いた情報をお客様に伝えながら決めたいと思います。

余談ですが、ご予定が終わられたあと、なか志まやにもう一度戻って来られて、着物をお預かりしました。このとき女性のほうは、お出かけされた時と寸分変わらないようでしたが、男性の方には着崩れが見えました。
おはしょりが無い分、男性は着易いですが着崩れもしやすいものです。
簡単に直せるのですが、その方法、予防策など、まだちゃんと伝えきれてなかったようです。男の着物姿の方が、着付の後は着手の度量が顕われます。慣れているかないか。すごく簡単なことで、すぐに出来ることですから、これからも徹底してお伝えしたいです。

アフターケアで悉皆を出す前に、一度ハンガーに吊るすことがあるのですが、この時には本当に仕立ての『よし悪し』を実感します。お客様に誂えて頂いた着物の、着用の直後の状態を呉服屋が見ることが増えれば、より『良い仕立て』を目指すはずですし、生地の状態も把握出来るはずです。『自分がいいですよー!』と勧めた『布』ですからね。どんなシワがついた着物になるのか、押しの効いた仕立て上がりとは違う表情の着物を見ると、お客様と同じ気持ち、またはたとえお客様が気づかなくても、プロとして気づくメリットやデメリットがあるはずです。

先日も、どちらかと言うとあまり特色のない生地の襦袢地を、急用で仕立ててみたら
すごく納まりのいい襦袢に出来上がりました。こんなこともあるのです。水洗いは出来ない絹なのですが、程よい肉厚感がシワにもならず、さばきもよく、着物の沿うものでした。予想外でした。

布を見る目は、まだまだ養わないと!と実感した瞬間です。

●2009年11月10日(火)

着付


正直に言って、いつも完璧な着付が出来ている訳でなく、あちこちと粗も気づく。
自分で着られる方なら尚更、その日の気分や体調や、時間的なことに影響されて、えい!ままよ!と出かけられることも多いと思う。
一度として同じように着れないからこそ、面白みもあるのだが、厄介なものだ。

普通の着物なら20分程度で着付は終わるけれど、やはり全体には余裕も持って、ゆったりとするべきなのだと思う。移動をお手伝いすることも多いので、着付をする時はこんな僕でも慎重に時間を選んでいると思う。

スチール撮影のような着付は出来ないけれど、全体のニュアンスは出したい。
なか志まやで誂えてもらった着物だから、こういう風に着て欲しいというのは明確なので、そこだけは注意している。

時々、お客様の姿を撮影して、あとで反省することもある。
動いている姿は美しいと思うから、よし!として着付をしたのだとおもうけれど、静止画像には反省点も多い・・・

ご自分が着易い着物、そして寸法があるように、着付しやすい寸法範囲もある。
誂えるときには、その方の今後の着物ライフを考えて寸法も検討すべきだ。
僕はご自分で着付が出来なかったり、半衿を付け替えできなくてもいいと考えている方だ。人にはそれぞれの生活の様子があるので、呉服屋としてお手伝い出来るなら、やるべきことはやりたい。着物を着たいという気持ちは、人それぞれで、その目的も
多少なり違う。同じなのは、やはり着ることで、自分の気持ちを切り替えたり、または人に褒めてもらったり、または礼を尽くしたりするなどである。

同じ人を何度も着付していくと、着付する側も上手に着せられる。
どんな体型の人でも、初めてでも、いい着付するのが本当のプロなんだと思うが、まだまだ。


追記:男の場合は、おはしょりをとったり、巾の広い名古屋や袋帯を締めたりしないので、簡単といえばそうなのですが、要は寸法ですから、きちんとした寸法を把握されることをお勧めします。着丈、裄、身幅はもちろんですが、褄下は帯位置との兼ね合いで重要ですし、男前揚げ、後ろ揚げ寸法も誂えなら、ちゃんと計りましょう。
どういう素材であるかも重要ですし、単純に長め短めの好みもあります。
余裕の布があまり無い分、こだわる方には悩み処のようです。
なか志まやでは、腰紐で着物を着たあとに、背で三カ所、上に引き膨らみをもたせて、背をたっぷりさせ、そして前を引きますので、その分、長めの着丈にしています。基本、長めが好みの呉服屋だと思います。



●2009年11月05日(木)

一衣舎・京都展


10月30日〜11月3日まで、京都の室町、つまりは呉服業者街のど真ん中で行われました。このあたりで着物の展示会が行われるのは、なんの不自然さもなく、むしろ当たり前の処なのですが、大きく違う処がいくつもあります。

まずは、『仕立て屋』の個展であること。

20年まえからほんの数年前まで、呉服を仕事にする人の誰が、着物の『仕立て屋』が京都、室町で個展をやるなどと想像出来たでしょうか。呉服屋をはじめ、問屋もメーカーも今までも、そして今でも仕立て屋を大事にせず、自分達の知識不足、経験不足を棚に上げ
着物の出来上がりに関する諸問題を仕立て屋のせいにする始末・・・
あげくの果てには、工賃を叩き、または海外縫製に走り、日本の技術者とこれから育つ可能性のある若手も潰しています。

仕立て上げられないと完成品とならないのは、当たり前なのですが、多くの呉服業者主に消費者と直接話す呉服屋の、採寸の知識と技術、それと仕立ての知識、さらには
様々な生地から予測されるメリットとデメリットを把握する目・・・それら全てが
低下していて、それは既に多くの着物を日常的に着たいという着手から、さらに呉服屋の信用を失う原因となり、または失笑されているのが現状です。


次に大きく違う処は、集まった布達はどれも、京都とは、つまりは室町や西陣と関係のないものばかりと言う事です。全国におられる名も知れずまじめに布創りをしている人達を自らの足で尋ね、その人の人柄や糸の味、織りの味、染め、強度等を自分の目で確かめられ、吟味された布達が会場に集まり、それらは仕立て上がったまま水洗いしても寸法が狂わないように、そしてなによりも、着易さを追求した寸法の割り出しと丁寧な仕立てが施されます。


そして、現状の着物業界のなかで、どこもが苦戦を強いられている中、この会場では、初日の朝一番から大盛況で、来場させる方のほとんどが着物を身を纏い、熱心に作品を見ていらっしゃいました。次から次へと来場される着物を好きな方々。
この熱さは最終日まで続いたと聞きます。僕が知る限り、こういう人の集まりは呉服関係の中でそうあるものではありません。


設営を終えて、お疲れの中、木村先生と先生の右腕Sさんと3人で、室町通りに面した居酒屋でお酒を飲みながらお話しました。
多くの時間と労力を使われて準備された、この京都展が果たして成功するかどうか
そういう不安も話されていましたが、始ってみると・・・
これから後のことは、どうか一衣舎のホームページを過去に遡りつつご覧になって下さい。


昔、着手に着物を見立て、総合的にアドバイスをしてきたのが呉服屋でした。
今は違います。呉服屋とは限りません。
信頼出来る個人の方なども多くいらっしゃるようです。
ネットの発達はそれをさらに加速させています。業者しか知り得なかった情報も多くの人に伝わるようになり、流通もどんどん変化しています。
明らかに前とは違います。

独立されて20年という節目の年に、京都で個展を成功されたのは
一つの大きな夢がかなったと思われます。
多くの同業者も見に行かれて、何をどう感じ取ったかはまだ分かりませんが、新しい風が室町を駆け抜けたのは間違いありません。

布を追求して行く事で、繋がっていくご縁の様子を時々、聞かされて
その不思議さと、でもある意味必然性があるなー!と唸らされます。


20年前・・・僕が練馬の大きな呉服屋で修行始めたとき、なんと、バイクに乗って仕立て上がった着物を呉服屋に納品に来たおじさんがいました。
それが独立したばかりの木村幸夫氏でした。車も買えたはずなのに、バイクを選択するあたりからして、変わっていました。でも上司からは、上手な仕立て屋なんだよと
聞かされていました。なんどもアトリエに行く度に、様々の布地で着物を創っているのを見て来ました。あの頃から何かを探求されていたのでしょう。

僕が独立する時に、真っ先に相談した職先は、もちろん一衣舎さんでした。
まだ、早いかな〜と言われましたが、早過ぎてもあのタイミングしかなかったのだと思います。

自分は呉服屋なのですが、今までの呉服屋とは違うスタンスでいたい!とか何か別のものになりたい!とかいつも考えてきました。努力が足りず今だ、多くのことは実現しませんが、一衣舎さんの個展を拝見する度に勇気を与えられます。何かひとつ信念を持ち続けて、それに挑む姿勢です。


友禅も錦もない着物の会が、これ程までに着物の着手に支持され続けている
高名な織手ではない方々の織物が、一人のフィルターを通して、進化して完成していく。着易さを追求していくことと、手入れが出来ることを念頭において、あくまで着手の立場からもの創りをする一貫したその姿勢。
簡単には真似は出来ませんし、一衣舎の木村幸夫氏だけのものだと思います。

全国の一衣舎ファンが、来てくれるのを待っているのがよくわかります。
いろいろ、寸法のことや仕立てのこと、そして木村氏のお目にかかった布を見てみたいのです。これから先、どういう風にまたなっていくのか・・・僕にはまったく分かりませんが、これからも教われることはなるべく教わり、吸収して自分のものになるようにして、自分はあくまで『呉服屋』としてお客様に多くのことをアドバイス出来る目と知識を養いたいです。そして自分らしさは、どこなのかをもっと研ぎすまして行きたいと思います。

前の晩、一睡もしないで徹夜して車で、京都に駆けつけた甲斐がありました。
この会はどうしても見ておくべきものでした。
二日間で1600キロ近く走りましたが、タイヤのパンクが名神高速に乗る100m手前、京都南のガソリンスタンドで発見できたのは幸運でした。ここ3ヶ月程の間で2度も、京都そして実家へ行き、仏壇に線香をあげたせいかもしれません・・・10年ぶりのことでした

随分、読み辛い文章になっていますが、ご容赦下さいませ。
本筋は一衣舎さんのブログをお読みくださいませ。