●2009年11月30日(月)
月が美しいこの頃 西向く士(サムライ)の最終日に 一衣舎・木村幸夫先生とデザイナー芝崎るみと、なか志まやの中島、三人でなんとなく集まり、今年の総括と来年の展望を話し合いました(笑)。三人とも付き合いは長いのですが(かれこれ15年程か)、それぞれの立場、そして目指して来たこと、当然違いがあります。着物(あるいは、呉服)を扱うというのが同じ土俵です。 一衣舎さんと芝崎るみさんは、考え方は違えど、まずは『仕立ての技術』『デザインの技術』の素晴らしさが大前提にあり、技術的なことを持ち合わせないなか志まやと 括りを別にするかもしれません。 『感性』というものを信じない、まずは確かな『技術力』だ!という内容のことを、あのジブリの音楽で有名な久石譲氏が言っていたというのを、どこかで読んだ気がする。なにせ、深夜の深酒の最中のことで、どこのサイトで読んだか全く記憶がないのですが、確かそのようなことが書いてありました:: 一衣舎さんの仕立ての技術。 これは言うまでもなく、丁寧で着手の立場に立った創意工夫が施されたものです。 もう20年近く言っていますが、畳紙を開けた瞬間に、綺麗だな!その隅々にまで気が廻ってるというか、緊張感のある、凛とした仕立て上がりです。着てみて、着易いというのは言うまでもなく、長い年月が経っても、狂いが少ない、いや無い!というのが、一衣舎さんの仕立ての技術です! 芝崎るみのデザインの技術。 これもまた言うまでもなく、ここのブログでも数々の秀逸な着物、長襦袢、羽裏、浴衣のデザインをお見せして来ました。手描きからデジタルまでをこなす、彼女の幅広い技術力は、唯一無二。この世に誰もおりません。なか志まやの無理難題なテーマを着物デザインに具現化出来るのは、彼女の技術力の恩恵を受けているのです。 さて、、、三人目のなか志まやの技術力。。。。 えーとですね、いちおう着付します。喪服から振袖まで(振袖は苦手!) んーとですね、えーとですね、、、、こっ こーでねいとりょく・・・・かな〜 芝崎さんは、なか志まやさんのようなMDが居てくれると、商品を創り易いと言われますが、確かに僅かなロットならね〜;;;通用するかもしれないまーちゃんだいじんぐです。 こーでねいと ねぇ〜 コーディネイトは、こーでねいと 一昔前、このあとに(爆)とか、(切腹)とか書くのが流行りました・・・ 話が逸れましたが、確かに着物や帯や小物や、または着姿全体を見て、それを取りまとめる!または、与えられた条件の中で最善の組み合わせを見つける!そう、こういう技術力は、呉服屋修業時代から鍛錬してきたので、多少はあるでしょう。上にも書いたように、感性つまりここでは、センスと言ってもよいけれど、これが無いと判断される呉服屋、または服屋でもなんでもいいけれど、やはりお話にならないとも思う。お客にセンスがあって、呉服屋になくても、いい品物があり、変な勧め方をしつこくして来なければ、それはそれで成り立つのかもしれませんが・・・ 誤解を生むような乱暴な言い方かもしれませんが、コーディネイトなんて別に、今更、呉服屋が声高に言う必要ない!と感じています。それは大前提の当たり前にあるべきもののはずだから・・・ならば、呉服屋に今、必要な技術力とは何ぞや! これが、これまでもこれからも問われるべきなのだと感じています。 具体的に物を自分の手で創る技術のない呉服屋の立場! 簡単にいうと、今はユニクロに代表されるような、自分で作って自分の店で、適正価格で売ることが主流の流通形態の中で、如何に高級嗜好品を扱う呉服屋が、着物を扱うお店で あることの存在価値をお客様に認めてもらうか!が、問われているように思います。 店のオリジナル商品が多いことなのか、なんでも揃っている事なのか、他店よりも安いのかサービスがいいのか、絶対にこれが正しいと思える終着点はなかなか見いだせません。 着物は、複雑な構造を持った、でも誇るべき衣装です。これは疑う余地のないものです。それに、まず日本人の心根に、心情に沿う衣装です。 隙がなくあくまで哲学的で冷静な呉服屋 啓蒙的、文化的な立場をとろうとする呉服屋 戦略的な仕掛けを得意とする呉服屋 工芸性を全面に打ち出す呉服屋・・・・ まだまだその形は様々あります。なか志まやはどうなでしょうか・・・なか志まやさんらしいね〜と言われるスタイルはあります。自分の好みも、着物や帯によく顕われていますが、まだ何かが足りないといつも感じています。足らないものは、自分の努力なのだとまずは反省してみたりもしますが、 要は如何に総合的な立場で物をみて、美しいと思える現象を起こせて行けるかに掛かっていると思います。美しさは数字ではないので、すべてを数値で捉えるようなメーカーや問屋や職先とは、つきあわないことです。注意深くみて、着物がこの人、すきなんだろなーて思う人とつきあいたい。僕と同じように、またはそれ以上に、美しいこの一枚の着物や帯を創りたいと熱意のある、同じ温度で居てくれる人々と一緒居たい!そうすれば、きっと美しい着物や帯が染められ織り上がり、仕立て上がっていくのだと思います。 呉服屋を着物屋と言い換えるのが、今の時代です。 呉服屋は、振袖も留袖も、喪服も準礼装も普段の着物も、七五三も、基本はすべての着物を扱えるはずです。友禅もあれば織りもあり刺繍もあります。 それを、如何に自分の器量の中で、美しく取り扱えることができるか! どれだけ多くの引き出しを持って、着手に提案出来るか! その技術力が、これからも常に問われているのだと思います。きっとそれは何も新しい事でなく昔から当然言われているのですが、当たり前のことを如何にやり通せるか!なのだと痛感します。 追記:ここ一ヶ月程に身の回りで起こったことから、一衣舎の木村先生から教えられた命題は、これからの着物業界で非常に重要なことだと感じています。人が生きて行くなら、それは必ず向かえることで、その形はこれから大いに変化していくべき処なんだと、自分の身近な所でも実感しています。 画像は、なか志まやらしくないかもしれませんが、最近、冬の夜空に、月が凛として美しいので載せてみます。迫力のある黒留袖です。
|