●2008年08月26日(火)
素足のつま先立ち 〜夏の終わり・浴衣小感〜
現代では、普段着から礼装においては足袋を着用することが一般的な認識で 浴衣でも、紅梅、長板の物など半衿を見せて白足袋を履くケースもある。 着物という布は、夏でも容赦なく女性の身体全体を覆い隠す余剰布であり あいかわらず、襟足からと時折垣間みる白足袋と裾との間など以外は、大いに肌を露出することを許さない。浴衣と着物も、同じ分量の布で身体を隠しながら、浴衣における素足には、よくよく考えてみると、 かなりのエロティシズムを含んでいるように考える。 さて、足袋姿が美しいと思えるのは、観念的なものではなく、着物スタイルにおいて いちばん女の身体のパーツをタイトに見せる、唯一の部分であるからで、その証拠に、足袋は足に吸い付くようなものが粋とされている。着物は、身体のラインを極力隠す方向にありながら そこだけが、真逆のベクトルをもち、男どもの目に飛び込んでくるのであろう。 ましてそれが素足となれば、ある種、直視出来ず、まるで覗き見するような気分にすらなる。 これが浴衣姿における素足にエロティシズムを感じる所以である。しかし、ただ肌を無防備に露出しているからではなく、その姿にある種緊張感がみられるときに、初めて、さらなる色気を感じるのである。弛緩したものには美は存在しない。 ここで話を少し遡ってみる。 江戸時代の頃、大和絵の創始者といわれる絵師巨勢金岡(こせの かなおか)が、秘戯の図を描いて 妻に見せたところ、『げに、よく描かれたり。さりながら、ひとつ難のこそはべれ。 <さるわざ>するとき、女の足の指、かならず屈みさぶろうものなり』<逸著聞集> 巨勢金岡は手をはたと打ち、のちのちはかかる定めにて描いたとある。 この描写は、好色余情の表現様式として後年、浮世絵に受け継がれた。 江戸時代の風俗絵である浮世絵に描写されている女の姿態は、素足が多く、それも指と甲の 激しい反りが、男に抱かれた末に果てる官能の極致を連想させるかのごとく 誇張されている。これは個人の好みとか妄想ではない。 男と通ずる情に満ち足りて、歓の極みに達したときの女の足は、指も甲と激しく 反る。それを見ることは、女自身には所詮叶わぬことであるが、広く情報となって 伝え聞いたであろう。妻の助言は見事な表現様式を作り上げたのである。 さて、本題であるが、素足の女がつま先立つ色気に、どれほどの男が共鳴していただけるだろうか。本来、露出を拒む着物姿において、剥き出しの素足が『屈みさぶらう』様子は、 <さるわざ>の男女の秘め事における、明らかに見逃さべからず収縮と同様に、女が極る瞬間であると 思われる。男女の視点の相違もあるかもしれないが、この緊張感は美意識に通ずると信じている。 意識的なものも、不随意的なしぐさや動作も言葉を発しない一つの感情表現で、それを見て取る側も 不意に心を鷲掴みにされたようにその姿態の虜となる。洋服姿にそれがないかと言えば、決してそんなことはないと思われるが、きものスタイルだからこそより誇張され、日本人の心情に訴える強さを持ち得ることがあるのだ。 ともかく、この『つま先立つ』という動作は艶めいて、堪らなく愛しい。 こうなってくると、ある種のフェチズムと言われるかもしれないが たまたま偶然に捕らえた一瞬の仕草に、女の美しさを感じられるし 後ろ姿で語る最高の着物姿の一つであると思う。 画像は、なか志まやオリジナル浴衣『紐・縛り』
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