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店主中島の、習い事など趣味のページです。

2012年02月のよく遊べ
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●2012年02月27日(月)

小谷口剛さんの漆器

応量器。。。

僕はまだ多くを語れません。でもまずは、手元に。衝動買いです
そのフォルムに惚れ込み、そのスペックにさらに惚れ込み、産地にも足を運び、制作現場見学し、お話も聞いて来ました。 

5/24〜28に郡上八幡で行なう『愚浄山房展』に出品する、
小谷口剛さんの漆器、その作品の一つ『応量器』です。

名古屋月日荘での『なか志まや・一衣舎二人展』にこの『応量器』を持って参ります。実際に手に取ってみて下さい。僕がこの美しさに震えた感じを少しでも味わって頂ければと思います。

以下の文章は、小谷口さんが、twitterで述べられていたもので、お気に入りにしています。

<私は自分が作る漆器を「百年使える品質とデザイン」と謳っています。これは謳っていると同時に、慣れや惰性といった何やかやを自分に課してもいるわけです。で、これは誇張でもなんでもないですし、畢生の宮大工西岡棟梁は、木材は千年もつと言っています。言い換えれば、百年など当然でもあるのです。>

小谷口剛氏 サイトの中に『私がつくる漆器』など読むと目から鱗が落ちる感覚になるページが沢山あります。漆器を日常使いしたいと考えている方は、是非このブログを熟読してみてください。

http://shikki.blog66.fc2.com/blog-category-13.html
(コピペまたは、小谷口剛さんで検索してみてください)

ちなみに、応量気器の下に引いたランチョンマットは、仁平幸春さんによる、600年の椎の樹皮で染めた黒です(鉄媒染)。





●2012年02月20日(月)

龍村美術織物 『鶴岡間道』袋帯 『帯展』出品より


十年来のお客様に茶系が増えたわね〜と。確かに着尺だけだと気づかないけど、帯だけをずらりと並べると茶味のある柄ものがちらほら並んでいる。どれも錆びた感じの色合だけど。そういうお年頃なのかとも思う。

そういえば、今回の帯展にも龍村美術織物から2点袋帯をセレクトしている。前回の新作展で久方ぶりに龍村の帯(糸屋輪宝手文)という帯を仕入れしたので、今回も覗いて見た。名品といわれる多くの柄は、基本的にはなか志まやに向く感じではないのだが、間道ものは色合いによってはなか志まや向きにもなる。

ざぁーとみて、すぐに目に留まったのが『鶴岡間道』。
これまた名物裂の名品で、色柄は赤錆と黄橡 の間道柄だ。

気にはなったが一時保留。他のメーカーのものを眺めていると、先月の七宝の帯に続き、これまた、なか志まやのハードロックな部分にヒットする黒銀の『ダークサイド唐草文』を見つけて、おお〜これこれ!と、あとは要らないと展示会場を後にするつもりが、それでもやはり気になる鶴岡間道。

ちなみにサイトから簡単な説明文をひくと

名物裂(ぎれ)の一つです。鎌倉鶴岡八幡宮の神宝に用いられていたと伝えられているものです。『太子間道』を除いた間道の名物裂の最古のものと認められています。「間道」とは、経(たて)糸を染め分けて織った縞織物のことです。臙脂(えんじ)がかった赤を主張として茶、白、濃紺などによる間道です。

白と銀で織り上げた『銀間道』は新作展でも挑戦していて、ある意味これはなか志まやらしいのだが、この帯はね、、、と、うだうだ考えつつも、結局今回の帯展に来ています。

帯展が二日経過して、棚の並び替えをしつつこの鶴岡君を眺めていると、思わず思い出してしまった。この帯は和楽の表紙に使われていた帯だ!さっそく探してみると昨年の11月号の表紙で、案の定、清野恵里子さんのセレクトで、白っぽい無地の着物にこの鶴岡君が使われていた。
この号は、森田空美さんのページで晴れの着物を特集したので、気になって購入していた。
清野さんの場合は、龍村でも龍村平蔵の方で価格も全く違うがこの帯は個人蔵となっている。印象的な表紙であったので、、、やはり擦り込まれていたのだ。

ならばと、呉服屋魂を燃やして、自分ならどうこの鶴岡君と向き合うのか!と夜な夜な考えている次第である。


●2012年02月15日(水)


勝山健史さんが長野県に工房を構えられて10週年を迎えられたようです。挨拶文を読んで実際のその作業をされている様子を、具体的にイメージすると、やはりこれはとても大変な挑戦だったんだなーとあらためて驚きを持っています。    

『理想と現実のギャップに唖然とさせられました』と。。。

桑園を整備し、蚕を育て、糸を作る。そして染めて織り上げる。
多くは分業で成り立ってる呉服の世界ですが、すべて自前となると、その苦労は相当のものだったと僕でも容易に想像出来ます。

『自分たちの都合で蚕を育てるのではなく、蚕の都合にあわせてスケジュールが決まります。』
『人間の勝手な都合は通用しません』
『経験と明確なイメージを持たなければ複雑になるだけで、かえって
 何もつくれなくなってしまいます』
『選択、決定の連続です』。。。などなど
書き続けられた言葉に、ハッとする文面でした。。。

彼が作る絹糸、そして帯になり着尺になったその『布』の力は、眺めた方、または手に取った方が、例えその出来上がった苦労の行程を全く知らなくとも、その美しさに引き込む力を持っています。これは僕の経験上でも確かなものです。

無地の着尺を見た時のあの驚きは、いまでも鮮明に蘇ります。。。