またひとつ、歳を重ねました。中島家は兵庫県養父市八鹿町というところで、始めは養蚕をしていたようです。その後、呉服専門店になり私で五代目ということです。自分の家の歴史に若い頃に興味がなかったせいで、親父から詳しくは聞かなかったのが今では悔やまれます。この看板はどれくらい昔のものか分かりません。わたしは2〜3歳でしょうか?なかしまや呉服店、この裏には中島屋呉服店と書いてあり、物心ついた時には『なか志まや呉服店』となっていました。あんなに嫌だった呉服屋を継ぐ事にしたのは、それなりに色々ありました。でもやり始めると違和感が無かったのは、やはり呉服屋の血筋でしょうか。1992年に新宿御苑前でなか志まや、そして2019年より麻布 なか志まや。出来ればこの土地で理想の呉服屋を完成したいと願っています。昭和の戦後も大変だったと思います。そして今回のコロナ禍。大きな変化を求められている世の中で、呉服屋というものが生き延びて行けるのかと不安はありますが、専門店としてやるべき事をしっかりとやって行くしかありません。着物を愛して下さる方に、その中でもなか志まやが提案する呉服に共感していて頂けるお客様に、ご満足頂ける着物をこれからも提案し続き、自分自身も目を常に新たにして、真に良い染織を着物としておすすめできる呉服屋でありたいと思います。
5月30日
2020.05.30