八丈織 菊池洋守さんを偲んで
『なか志まやさんのグレーに合う帯を作ったよ』と、今年になって嬉しい電話があり、柳 崇さんから送られて来た帯。青と灰で構成された帯は、崇さんが仰る通りなか志まや好みです。合わせた着物は志賀松和子さんの作品です。
昨年の今頃、私はちょうど名古屋に居ました。三人展の為です。
早朝に染織家 志賀松和子さんから電話があり、『菊池さんが亡くなられた』と衝撃の知らせを受けました。あの電話は今でも忘れられません。
八丈織 菊池洋守さんが急逝される直前に、自身の作品の為に用意されていた絹糸を、その後、志賀松和子さんが引き継ぎ、昨年末より、少しづつ彼女の作品にして来たのですが、このグレーの反物も、菊池さんをオマージュした作品です。
『菊池さんが好きだった小市松(志賀松談)』を平織り変化市松で織りました。精錬は志賀松さんの考えで『経七分練 緯八分練』というセッティング。布味は菊池さんとも似ている処はありますが、やはり志賀松和子作品です。この画像でこの布の美しさが少しでも伝われば良いのですが。
ご存知の方も多いと思いますが、菊池洋守さんは、柳 崇さんが6歳の頃、柳 悦博さん(崇さんのお父さん)の工房に修行に入られました。崇さんから『菊池さんはとにかく計画通り、きちんと仕事をこなされていた』と聞いた事があります。その後、柳悦博 柳悦孝 宗廣力三 芹沢銈介といった、白洲正子が愛した染織家の中に名前を連ねる程になられます。
志賀松さんは随分昔から菊池さんとは交流があり、夜中に酒に酔いながら、お互いの作品について忌憚なき意見を言い合った仲。志賀松さんは特に正直にずばすば批評されるので、菊池さんも負けじと応酬していたとか。
ある時、志賀松さんの作品を雑誌に掲載してもらったのですが、その紙面をみて、志賀松さんに『お前、組織変えたな!』と菊池さんが指摘されたとか。着用した着姿、布の動きで出来る影で、組織の違いを見抜いた菊池さんの目には驚かされました。
菊池さんは小柄な方なのですが、機に向かう姿は凛としていて大きく見えます。動画を拝見したのですが、なんとも心地よいリズム、機の音が響きます。 『お前にまだまだ教える事があるな~』と志賀松さんに電話で語られていた後の事ですから、よけいに残念でなりません。お弟子さんがいらっしゃらないので、菊池さんのこれからの作品をもう見ることは叶いませんが、きっと志賀松さんが染織の同志として、美しい絹織物を作り続けてくれることと思います。
明日は偶然にも、なか志まやが最後に取り扱いをした菊池さんの着物が出来上がってきます。
今日は菊池さんを偲んで、糸だけですが、八丈島から京都に渡り、そしてここ東京で、柳崇さんの帯と合わせて、また昔のように『崇くん、崇くん!』と呼んでいた頃を思い出して頂いて、お好きな酒でも飲んで頂きたいと願っております。
八丈織 染織家 菊池洋守さんを偲んで
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