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店主中島の、習い事など趣味のページです。

2007年09月のよく遊べ
[過去のよく遊べ一覧]
●2007年09月26日(水)

    そろそろ長着・・・

 6月から8月まで、浴衣に取り組んで参りました。
いまや、ユニクロでも浴衣は買える時代ですが、いちおう呉服専門店と致しましては
今でも反物から誂えて仕立てる浴衣のみに取り組んでおります。
 浴衣を一揃選ぶのと、訪問着などを一揃選ぶのとほぼ同じ労力を費やします。
がしかし、浴衣の単価は安い、訪問着は基本的には高額である。
これが、呉服専門店が、反物からの浴衣をあまりやりたがらずに、高額浴衣を主とし、それ以外は”仕立て上り浴衣”で枚数をこなそうとする訳であります。

 ふむ。

忙しかった夏もようやく終わりを告げ、なか志まやも作って頂いたキモノの着付けが、ぽつりぽつりと来ています。画像は、透かし織された着物と単衣向きの袋帯。
ゴージャスな単衣のお出かけ着になっています。

●2007年09月20日(木)

       繰り返し

 着物はアウトラインが決まっているので、大きなデザイン変更とかはなく
常にこの形の中で、色や柄、素材にこだわって行かなければならない。
それが、糸のレベルにまで及び果ては糸をつくる蚕にまで至り、その果ては
その環境にまでいたり、こだわりは着物を着ることの精神性にまで及ぶ。
それが、今の着物だと思います。

 僕なりに自分のキャリアと自分の価値観で、何が美しいか!とそして呉服屋としては何を作って頂くのがお客さんにとって意味のあることなのか、自分なりに考え悩み
ここまでやって来たと思います。洋服感覚というのは、僕の解釈では色の合わせより
むしろミニマリズム的なことで、削ぎ落として一度完成してその後どのように変化しても耐えうるスタイルという!という考え方の言い換えです。
 色の傾向ではそんなに変らないところ、柄という要素を極力排した無地であっても
その生地に奥行きと、やはりクオリティーの高さを感じるもの。

『最小でありながら、最大である!』というのはいかにも日本人的な発想であり
僕の思う着物スタイルをよく言い表してると思うけれど、それは建築や、そうたとえば、杉本博司の写真にみるような感覚なのだけれど、着るものはやはりすこしずつ
ぶれてくる。ぶれるていうのは、そのときの流行ていってもいいと思う。

 気っ風市用に、いろんな商品を集めたり、今回はこうしようかなとか、これは外せないなとか、そんなことを考えてるとだんだん飽和状態になってきて・・・
『爆発だー!!!』て言いたくなる。
商いは飽きないだし、新しことをすることは世に背を向けることだし、楽しいことは
苦しいと丁度いい感じだ。
 あっそういえば、なか志まやの着物は女性が武装した感じですよね!と言われたことがあるが、まさにそれは言い得てる。僕の着物はけっしてくつろぎではないように思う。それが、褻のなかの晴れ!どこかに勝負wしてる感じ、パーティ、デート、観劇、お茶会なんでもいいけど、着手に或る種緊張感を持たせる着物かもしれないな〜

 とうの店主はこんなにでれでれした姿で接客してますが・・・

 

●2007年09月12日(水)

    色留袖を別誂えすることに・・・

 京都展以来、ご贔屓にしてくださってる奈良のお客様が来店され、来年の御召しになる色留袖を染める為に、現物や図案、色見本調などなど見て頂いた。お好みがハッキリされていて、よく着物を御召しになられ、目も肥えられた方なので、あっと言う間に方向性も決まり、あとはこちらで雛形や白生地などを用意して再度、プレゼンすることに。
 半世紀前?なら、呉服屋という着物を売るお店や、大きな百貨店ならば、染めを誂えで受けて、お客様にお売りすることなど日常的にあったことだし、そういった注文をなさる側も受ける側も、あ うんの呼吸だったかもしれないと想像します。

 確かにやはり上客と言われる層の方々かもしれないし、呉服が晴着プラス日常着の時代であっても、柄ものを誂えで染めることは贅沢なことだったでしょう。

 目が肥えれば、色留袖の品薄にすぐに気付きます。
今年春の紫綬褒章の授与式のために、レンタルできる色留袖を探しましたがはやり同じように感じました。個性的でありたい!自分に似合うものを着たいという方には
色留袖、多分黒留袖もそうですが、変り映えのしないつまらない衣装であるように思えます。そのくせなんか、不必要に高い!作家かなにかしりませんが、裾模様だから
空間もさらに限られ、古典の写し〜とかこれまた、高尚な言い訳で独創性もなく無駄で華美な装飾で信じられない値段・・・嘆かわしき色留袖の実態。
 仕方ないですよね。本当に着る機会はすくないですからね。売れないから染め屋さんも在庫を持ちたくないしね。

第一礼装と呼ばれる留袖に、個性的とかお洒落だとかそういうことよりも、重々しく格式があるとか礼節さを描くのが今でも或る種正しい着物の考え方なのでしょうが、
礼装のなかに、女性らしさ、セクシーさとか出せることが出来るなら、それは今の時代にあった着物の礼装と呼べるように思えます。洋服の世界がそうだから・・・と
安直なことは言えないと思うのですが、自分は古着を売る呉服屋ではないし、今の時代にあった感覚のものを提案したいと常日頃思っているので、ただ古典だからとか
そういういかにも呉服的な発想で、留袖を売りたくないのです。それに・・・
 
 そうしないと、留袖はいつまでたっても、
『座れば喪服、立てば、金銀の帯に派手な化粧回しをつけたお相撲さん』になってしまう気がする。すくなくとも、今の若い子が、留袖を着ようとは思わない気がします。で、自分がつくる留袖はどうなんじゃい・・・と問われるのですが、それは
やはり、絵柄の題材、その空間の取り方と配色だと思います。留袖だからこうじゃなくては!でなくて、留袖でもこうあってもいいじゃないか!だと感じますね。
そして、どこかそこには権威的ではなく、女らしさでも母性?でもいいけど
そういうものが表現されたものを創りたいと思います。

そういえば、昨年、すこし変わった柄の絽の色留袖を、客注で別誂えしたのですが
な、、なんと染め上がった反物の抱きと袖の部分には、裾の柄から取った題材が申訳なさそうに染まっていました。この裾柄は、訪問着だと勝手に先生=職人さんが思い込んで、色留袖の発注を訪問着に染め上がって来たのです。
 プロの世界でも、そういうレベルの認識であります。

●2007年09月07日(金)

唐突ですが・・・

 象さんの柄の帯を仕入しました!(8/17仕入)僕が、象ーさんですよ、象さん。
紬生地でやや礼装感のある袋帯。画像は、出しませんので気っ風市の時でも見てやってください。あと、一珍染めの更紗柄の名古屋帯。
 
 と、9/6に京都から来ていた染め屋さんの展示会で、これまた凄い小紋を仕入しました。ローケツ染めの小紋で、さてこれどうしてやるものか!とコーディネイトと
柄の配置=裁断(一衣舎さんのお力を拝借しますが)に知恵をガンガンに絞りたくなる小紋。いやー値段は高かったけど、そんなことより、挑戦してみたいなー!て呉服屋魂(そんなものがどんなものか知りませんが)が沸々と湧き起こりました。

 僕の考え方の基本にあるものは、お客様に作って頂くなら、飽きが来ず何年も
お客様に愛してもらえるような着物や帯を提供したい!というものですが、長く愛してもらう為には、本当はそれ自体に変化があり奥行きがあればいいはずです。
 ただ、一度作ってもらった着物には奥行きは持たせても、変化させることは出来ないので、全体のコーディネイトを変化させて、作って頂いた着物や帯を愛し続けてもらうことになるのでしょう。呉服屋は一度提案した自分の商品(作品と言ってもいいのかも)に死ぬまで責任を持ち続けなきゃいけないもののような気がする(あっこれは呉服屋魂、、、そこまで出来るかな....)

 先日、京都で一、二を競う帯屋の展示会で、もの凄い量の帯をみて、展示会の為の応援商品も含めて手配しようとしても、んーといつもの狭い所(要は自分が好きか嫌いか)を選んでしまいがちで
中々決断を鈍らせていました。しかし今回は、自分の中では少し、いつもより強引に間口を広げてみようとしています。

ん?いや、間口を広げるつもりはないけれど、自分にぶつける感覚かな。
いかにも・・・という具象的な柄は、浴衣や羽裏やなどにしか最近は使わない事が多いのですが、表生地(着物と帯)でいままでとは少し違うものも提案できればよいなと考えています。

 着物は僕の大切な仕事だと思うし、あるしゅ天職のような気もする。
 なるべくして呉服屋になったし、これでお金も頂いてる
 でも仕事と遊び感覚、、、遊びというと本当お客様に怒られそうだけど
 楽しいと思って(こうやって自分でこねこね考えながら)やれてるのは
 本当に幸せなことなのだと思います。最近特に・・・そう思います。